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CASE−3:「Still Moving : 漂流」森村泰昌・河本信治

10月5日日曜 午後3時30分ー5時
PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭 2015アクセス・プログラム
Case Worker : 高橋悟(京都市立芸術大学美術学部教授)

森村泰昌
第5回横浜トリエンナーレ アーティスティックディレクター
河本信治
1949京都市生まれ。1981-2013 京都国立近代美術館・主任研究官/学芸課長/特任研究員。2001横浜トリエンナーレ:アーティスティック・ディレクター、2003第50回ヴェネチア・ビエンナーレ:国別パビリオン部門金獅子賞国際審査員、2003ドクメンタ12:ディレクター選考委員、2013- PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015芸術監督。
【主な展覧会企画】1996プロジェクト・フォー・サバイバル:1970年以降の現代美術再訪(1996)、2000 STILL\MOVING:現代オランダの写真、フィルム、ヴィデオ、2010 マイ・フェイバリット-とある美術の検索目録/所蔵作品から。
陪審員
倉智敬子(Temporary Foundation )、柏木智雄(横浜美術館学芸員)、大舘奈津子(一色事務所アソシエイト)、笠原恵実子(横浜トリエンナーレ参加作家)、満岡重敏(横浜トリエンナーレ・サポーター)、室井尚(横浜国立大学教授)、杉山雅之(Temporary Foundation )、牧口千夏(京都国立近代美術館研究員)、倉石信乃(明治大学理工学部総合文化教室教授・写真史)

陪審員・傍聴人に配布された参考資料

進行・スクリプト:高橋悟

ヒトの鳴き声

始めは、それが何なのか解らなかった。何故あんなてっぺんの細い枝に枯れ葉が固まって引っかかるのかと。友人に聞いて、初めてそれが灰色リスの巣だと知った。夏のあいだは、なかなか見つける事が出来ないが、冬になって樹々が裸になると枝のラインの美しさを遮るように上の方にボコッとあらわれる。長く厳しい冬、ストームが来ると、木々の枝はまるで生きているかのように乱暴に踊りだす。リスの巣はそのしなりにあわせて、ゆらゆらし、何度も今にも落ちそうにみえる。それでもしぶとく、張り付いている。

あまり昔の事は思わない方が良いよ、と彼は言った。彼はベトナム戦争から帰ったら、彼女が新しい男と暮らしていて、その上自分は変な戦争の夢を見るようになって、長い間治療に通ったのだそうだ。今の事だけ考えたら記憶に捕まらないと。そしてこうやって、タクシーに乗ってくれた1回限りの客に自分の話を聞いてもらうのだと。自分の中で繰り返すのではなく、口に出せば重たいものを背負い込まないのだと。

そこで私も新しく出来た外人の友人たちに、今まで人に言っても仕方ないと思っていた事をできるだけさらりと口に出して自己紹介するようにしてみた。神様を信じる人が多い国で、神が代わりに見ていてくれるよ、と言ってくれる人が多く自分もそんな気がしたこともあった。しかし、14年後に今度は妹が先に逝ってしまった。若くで亡くなったと言われていた母より若い年で。今度はカミサマも効かなかった。眠れなくなり真夜中に病院に走った時の断編的な映像が見える様な気がした。ここは違う国なのに。
ぼんやりと昔のことを思い出して、借りている家で小火を出した。

放心していられない程いそがしい日々は、今の生活を取り戻させてくれた。
それでも、何かの拍子で忘れたいと思っている記憶がボコッとあらわれる。
引き金になるのは、天気だったり、音楽だったりまちまちなのだが。
記憶はしぶとく張り付いてくる。

私はリスの巣を、キオクノスミカと呼ぶ事にした。

 

図−2「炊き出しカフェ」


父上様母上様三日とろろ美味しうございました。

干し柿 もちも美味しうございました。

敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。

勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。

巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。

喜久造兄姉上様ブドウ液 養命酒美味しうございました。

又いつも洗濯ありがとうございました。

幸造兄姉上様往復車に便乗さして戴き有難とうございました。

モンゴいか美味しうございました。

 

CAEピクチャ+1
図−3 バイオテロ疑惑によるクリティカル・アート・アンサンブルの逮捕
クリティカル・アート・アンサンブルは、かって、失業者がたむろするイギリスの公園に山積みのビールケースと煙草を用意して無料でふるまったことがある。生きる為に必要な食べ物ではなく、課税率の高い嗜好品である煙草やビールを失業者に振る舞う行為


Tへ、倫理的な問題に足をすくわれない様にするというのは、ほんとうに難しい。いわゆる一般的ないみでの倫理性に、ほとんど価値を見いだせないのだから、結局、嘘をつかされるはめになる。美術の場では、一応何を言ってもいいことになっているので、倫理的にはフリーだ。ゆえに、この場で倫理的に問題があるとすれば、本来倫理的な場でないところで、倫理を問うことだと、僕は思う。しかし、タブーを破ってくれるのは美術だと、一般の人は思っている節があるので、それに乗じて、タブーを犯す美術の人とそれを評価する人があとを絶えない。美術の場を、一般的な生活の場に差し戻す行為。空き地に建て売りの住宅が建つ。倫理的な批判というのは、われわれの思わぬところから、やってくるのではないか。「日輪の翼」には、そういったことが登場しない。善良な市民、警察権力、やくざ、大企業。すこしは関わってくる気配はあるものの、たいしたことにはならない。これは、高速道路網を路地とたとえ、そこの内部にいるかぎり、身分の保証があるからなのか、移動し続ける冷凍トレーラーに倫理というものが、追いつけないからか。a rolling stone gathers no moss.倫理なんてこけのようなもんだ。そういえば、最も倫理的な介入があるのは、家族だった。その次に、ご近所、地域。

 

図−4 アリゾナ バイオスフェア2


「生態系生存には攪乱が必要です。」地球環境学堂の森本幸裕教授は語る。1991年、アリゾナ砂漠—「未来のエデン」としてバイオ・スフェアープロジェクトが開始された。人工的単一システムとして閉鎖環境では、人間のみか、植物も生存を続けることはできす、砂漠のオアシスとして作られた池は、生態系の死を象徴するような緑のヘドロでよどみきっている。

「海洋 Oceanと呼ばれる人工池では、人工的に波を作り出して、渚らしきものを配している。だが上の遊歩道から見下ろしてすぐ、この渚は死んでいると直感できた。案の定、地下からガラス越しに見ると、藻類が大量発生し、底で軟泥化している。いわゆるGreenSlime。機械的に生み出された波が、規則的な揺れをつくりだしているが、京大の森本先生によると、生きた波はただ規則的な反復ではなく、大きな不規則性を内包していて、そうした乱れがないと自然の生命は延命できないという。風がなくてまわりの空気がたえず動いていないと、木が枯れてしまうのと同じ。個々の要素がいくら正しくても、それらの加算集合だけでは生きた全体は得られないという自然の教え。規則と不規則、秩序と乱れの動的バランスとしての生態系。バイオスフェアが建設された80年代は、まだこうした複雑系のメカニズムが十分に認識されていなかったという。」

 

図−5 仮設住宅

言葉どおりの個人的ないさかいも起きました。それどころか一種の権力闘争、派閥抗争のために、すんでのところですべてが台無しになりそうな事態さえありました。バイオスフィア2に入る時、私たちは互いに、これからこの人たちとすばらしい友情をはぐくむのだと大いに期待していました。が、二年経って出てきた時には、もうほとんど口もきかないほど関係が悪くなっていた人たちもいました。

 

図−6 エルミタージュ美術館


戦争状態のもとでは、ふだんは宗教講話の言い草でしかない、この世の物品のむなしさが、人々の真剣な現実となる。そこでは特殊なものを理念的に解体することが正当だとされ、現実にそうした事態が進行する。(中略)戦争のなかで、国民は、有限な生活条件が確固としてあることなどには目を向けなくなるので、そのことによって、国民の健全な共同体精神が維持される。それはちょうど、風の動きが海を腐敗から守るのにている。長く風が吹かないと海が腐敗するように、長い平和や永久平和は、国民を腐敗へと追いやるのである。

Sへ、三歳頃の言語が確立してゆく過程で、大掛かりな脳の再編成がおこるようで、多くの幼児型記憶は潜在的なものとして意識の背景になってゆくようです。幼児型記憶と成人型記憶は 相容れない異なった記憶システムで、そのあいだには、 断絶が有るとされる。たとえば一般にサヴァンとよばれる、知恵おくれや、一部の自閉症の人たちのあいだには、この幼児型記憶システムが強く残っていて、言葉を媒介としない写真的な記憶力をしめすものや、複雑な粘度模型をつくって、非常に複雑な数列を記憶してしまう人等がいる。また解離症状に伴うフラシュッバック記憶は、この幼児型記憶に類似性があるとされている。言語を中心に形成された成人型の記憶回路に、いきなり、非言語的な幼児型記憶がわりこみ、通常の自己保存的欲望の流れを切断する一種のショック効果、あるいは、急ブレーキのような効果。通常の知覚、感覚=運動と結びついた回路は分離され、 運動回路を抜き取られた新種の空間がうまれる。

臨床的には、悪夢が、日常生活に突然割り込んでくる恐怖体験として捉えられるのですが、文化論的には逆に、制度化された白日夢(日常生活のまどろみ状態)からの覚醒、あたらしく回路が作られる可能性、としてもフラシュッバックを捉える事が出来るのかもしれません。それは、記憶と空間の話を、カウンターメモリーの創造という比喩的な形での歴史の読みにもつながるかもしれません。

 

京都市 旧柳原地区「ドンツキ」前


Tへ、人間、3才前後で世界との関わりかたに大きな変化が生じるという。言語を獲得した後と前とでは、すっかり脳の働きかたが変わってしまい、ゆえにそれ以前のことは覚えていないということらしい。大昔洞窟に絵を描いていた人とかサヴァンの人が描く絵は、言語という抽象化から逃れている為に、それこそ現前の形をそのまま仔細に描く事が出来る、というか、そのようにしか描けない。子どもを育ててみてわかるのは、絵や文字がうまくかけるようになるのは、その手の能力が向上するというより、指や腕だけでなく、身体を「かく」という姿勢に保持するための腹筋やら背筋などの筋肉に力がつく、ということだと思う。言語を獲得する前の幼児にそのような筋肉がついていたら、大昔の洞窟の絵のようなものがかけるかもしれない。経験も必要だろうけど。筋肉もついてしまって、言語も獲得してしまったおとなが、しかし、ことばでは言えない経験、WTCが一瞬にして崩れるとか、尼崎のような凄惨な列車事故 とかに出会い、その言語獲得以前にもどる、その境界の辺りをうろつく。自分に都合良くそんな風に考えていた。「非言語的な幼児型記憶が割り込む」のか!「運動回路を抜き取られた新種の空間が生まれる」のか!言語獲得以前の感覚という文学的な表現になってしまいますが、美術でこそ可能だと考えるのはそいうことです。

 

70年代フェミニズム運動では、「個人的なことは政治的である」というメッセージが影響をもちました。女性が抱える問題に対して、「それは君個人の問題だ。」というふうに社会が応えることで、女性を孤立させ、問題を隠そうとしてきました。それに対して、女性達は「個人的な問題」例えば「性暴力」についてみんなで語り合い、それが個人の問題ではなく、社会制度の問題であるという事実に気づいていったのです。

これは社会へむけて「個人表現」するといったものではなく、他者の中で個人が抱える問題をオープンに語り合う中で、問題が共有され、制度を組み替えるメッセージへとなりうるという事でした。現在、この言葉は使い古されてしまいましたが、個性を表現する個人ではなく、「個人」という制度の問題に焦点があてられていたということです。 

 

「犬に角があったら、犬は牛乳をだしますか?」
「牛に角はありますか?」
「牛というのは、この犬です。」
「犬には角があるでしょうか?」

 


陪審員コメント01

陪審員:杉山雅之(美術家)

忘却と非人称は連続しているのではないか。
今回のcase3のレジュメに私が書いた文章がのっています。
caseをクワダテている高橋氏の文と思ってレジュメを最初から読んでいくと、なんだか様子がおかしい。書き手はどうも女性である。続けて読んでいると、どこかで聞いたことがある。そこで気付きます。俺が以前書いたものだと。この時の奇妙な感覚は「非人称」と言えるのではないでしょうか。忘れていたものが、どこかからか突然やってきて、それが急に自分のものとわかる。少女のように顔を赤らめてしまいますが、自分のものと気付かないで読んでいた時は、他人のもの。その外部性は残り続けるのです。忘却といいますが、それは外部に記憶されたもの。外付けハードディスクに置いておけば、安物の僕のパソコンでも、なんとか作動してくれる。非常に恥ずかしい話ではありますが、日常、非日常に関わらず、言ったり、書いたり、作ったりしたことを、みんな何の断りも無く覚えていたり、書き留めていたりしていて、それが膨大な記憶の海となっている。その記憶の海からのことばはもはや誰のものでもなく、非人称のことばである、と書いてしまうと、なんだか分かりやす過ぎて、そんなことは前から分かっていたんじゃないかと思ってしまいます。
自分が書いた文章と言いましたが、さてそれも疑わしい。レジュメの文章も今読めば、これは誰かからか聞いた話を高橋氏への応答という形で、私をすりぬけていっただけかもしれない。筒抜けです。
人の話は半分ぐらいしかわからない。高橋氏の話は、時によってはもっとわからない。ただ単に自分の語彙と知識の少なさと解ったふりをしていますが、自分の書いたものでも、「これはどういうことか」と、首をかしげます。これは、ただ忘れているのか、自分の言葉でないのかのどちらかです。どちらにしても、一方は忘却、もう一方は非人称であります。
case3の別室でのお話も、半分くらいしかわからない。わからないあとの半分は、忘却したくてもできない、非人称の忘却です。
私はTemporary Foundationのうちのひとりですが、今回のヨコトリでのたくらみを全部理解している訳ではありません。3ヶ月の展示と5つのケースを通じて、あるいはもっと先に、不意に訪れる「合点」をのぞみ、日々汗を流していくつもりです。


陪審員コメント02

陪審員:笠原恵実子(横浜トリエンナーレ参加作家)

釜ヶ崎芸術大学の炊き出しカフェと設置場所との齟齬感を高橋さんがおっしゃった事で、私はもともと美術作品の展示というものに齟齬感は否めない事を思った。
そこで、齟齬感の存在を認めた上で質を考えることが重要だと思った。
翻っていえば、齟齬感がない存在こそが他者を隠遁する事になるのではないか、たとえば、同時代的な(みんなが知ってる、みんなが好きな的な)ポピュラリティーに根ざした提示において、批評軸の存在は最初から否定されている閉じられた強度を持つ。そういった状況において、差異は存在を否定され抹殺される。五族協和を唱え五色のストライプの国旗を作った大満州帝国の惨状を考えた。

stillとmovingの間のスラッシュのごとく、分断と関連は同じベクトルで表示されることが、私の思うところの真実に近いと思った。スラッシュの上に、そこに批評軸を構築する。

私が認める齟齬感の存在とは決して下記のようなものではない。
中国の作家が地方労働者を雇い、彼らを鎖で繋いで美術館の中にたたせるというインスタレーションを見た。
また、メキシコ人の作家がラテン系土木作業員を雇い、NYのギャラリーの中で彼らが重たい建材を方で支えているポーズをとらせ作品としていた。
こういった社会的なコンフリクトをそのまま自身の作品の強度に使う、覇権主義的な演出された齟齬感は、たちが悪いと思う。
ここでは違った意味で、有無をいわせぬ、異質を異質としか認めさせない独裁性が存在する。その体質は、齟齬感などないといったばかりに同質性をアピールするものと同質ではないか。

こういった事柄をふまえて、自身とその作品の立ち位置を改めて考える機会となったと思う。


陪審員コメント03

陪審員:大舘奈津子(一色事務所アソシエイト)

トリエンナーレで出来たこと、出来なかったことを改めて考えさせられるCase 3でした。

1. 美術館の役割

河本さんに言われてはっとした、美術館の制度批判。私はダニエル・ビュレンを研究していたので、彼の以下のことばを常に考えていたにも
関わらずその視点が欠落していました。

 「デュシャンは美術において、なにか嘘があると気づいていたが、作品の神話をなくすのではなく、神話を増長させた。工業製品であるオブジェを流用し、その文脈から外すことで、美術としてしまったのである。彼の行為は、オブジェをあるがままに見せる(présenter)ではなく表現して/象徴して(représenter)しまったのだ。」(1967年3月 George Boudailleとのインタビューにおいて/Les Lettres Française)

ビュレンが指摘し、非難していた、芸術の避難所としての美術館は、特に今日の現代美術において美術作品でないものも見せている事実から、単なる避難所と言えるのかもしれない。その意味で、釜ヶ崎芸術大学は、現実に失いつつある避難所を美術館に持ち込んだと言え、その意味では正しいかもしれないし、一方で「避難所」に集約されることで、本来の意味を失うリスクもあるかもしれない。一方、笠原が感じた齟齬と同じように、私は同じ避難所としても島袋が見せる亀や、ピエール・ユイグの生態系の作品を美術館に持ち込むことには極めて懐疑的。これについてはまだなにかまとまらないので、ここでは話しません。

河本さんがお話していた制度批判は、美術館の中の人に向けてのものだったとは思いますが、中にはいるものがすべて作品化されてしまう、という危険性をどれだけ認識していたかは、振り返ってみると忘却の彼方に行ってしまっていたポイントであり、また、様々な運営の中で苛立ちを覚えた、美術館や、美術館の職員という硬直しきった制度を展示やその他の方法によって上手く批評軸に入れこむだけの能力と余裕が無かったことがくやまれます。

2. 語ることの不自由さ

そもそも芸術は自由であるべきという考え方を持っているにもかかわらず、作品の説明をしつづけることによる不自由さ。昨日ちょうどカタログを手にしたばかりなので、その資料としてのクオリティは享受しつつ、空白部分がだんだんせばまっていく息苦しさを覚えます。

一方でわかってほしいという、極めて凡人の承認欲求も持ち合わせているので、河本さんのようにわかってくれる人だけわかってくれればいいんだもん!というようにはまだ開き直れておりません。

タリン・サイモンや、大谷コレクション、エリック・ボードレール、高山明など、特に語れてしまう作品については、本来、もう少し抽象的なものをおりこんでぼかすべきなのでしょうが、ナショナリズムの足音聞こえる今の時期にはこういう抵抗しか残されていない、と感じました。言い訳にしかすぎませんが。

高橋さん、非常に楽しい時間をありがとうございました。


陪審員コメント04
陪審員というより傍観者としてのコメント

陪審員:牧口千夏(京都国立近代美術館研究員)

まず、森村さん、河本さん、高橋さんいずれのプレイヤーからも感じたのは、証人喚問的な構図に身を置くことに対する居心地の悪さのようなものだった。審議中、この固定された権力構造に対する小さな抵抗に見える印象的な一幕があった。森村さん(証人)が、用意した複数の「テキスト」からどのバージョンを披露するかを高橋さん(進行役)に選んでほしい、という場面で、高橋さんはそれを拒否することで、選択する側が決定権・主導権をもつのではなく、選択させる側にこそ権力があることを可視化させていた。一方、森村さんにとってのこのゲームは、自らがプレイヤーという役割を与えられた状況を自覚的にとらえ、さらに「あなたのされるがままになりましょう」と進行役に対してその権力性を自覚させるような戦略としても理解できる。他にも三者による見えない権力に対する繊細なやりとりが興味深かった。自由な発言が認められている場に潜む見えない権力構造が、発言の自由度を制限し規定していくという状況は日常生活でもおなじみだが、法廷という設定を導入し権力構造を強調することで、横浜トリエンナーレの全体テーマに応答するかたちでTemporary Foundationが取り上げた問題を扱う格好の場所になっているように思えた。

釜ヶ崎芸術大学の横浜トリエンナーレ出品にかかる資金調達のために書かれた上田假奈代さんのテキストに、「ココルームの活動では、「支援する人/支援される人」「教える人/教わる人」といったような関係が固定化されないことを大切にしています」という一文がある。法廷だけでなく美術館においても、見えない制度が鑑賞者やキュレーター、作家といった役割の関係を暫定的に固定する(制度とはロール・プレイング・ゲームの一種なのか?)。「釜芸」の活動の魅力のひとつが流動的な関係性にあるとしたら、それが美術館に持ち込まれ展示されることによって、さまざまなレベルでの関係の固定化を免れえない。その意味で、実際の大阪のど真ん中で目にする光景を「忘却していたもの」として鑑賞者に突きつけたかどうか、どうしても疑問が残る。この問題は、近年とみに増えた社会的な目的のもとで参加者を求める他のさまざまなプロジェクトが同様に孕むものかもしれない。それに比べて、「Trouble in Paradise 生存のエシックス」展(京都国立近代美術館、2010年)の内覧会当日に行われたクリティカル・アート・アンサンブルのスティーヴ・カーツによる酒とたばこを配布するゲリラ・パフォーマンスは、予定外の内覧会案内状をも偽造し配布することで、美術館にもその偽装案内状を入口で回収するという判断を否応なく求め(=責任を生じさせ)、「危険さを演出した安心なイベント」とは一線を画していた。主催者側としては何らかのトラブルが生じるような事態になっては困るが、美術館の制度は路上生活者を排除しているという批判をアーティストが美術館側に突きつけたという点で(不謹慎ながら)面白い。
釜ヶ崎芸術大学の展示をめぐるやりとりを聞いていて、1980年代末ニューヨークのホームレスに向けて制作されたクシシュトフ・ヴォディチコの《ポリスカー》を思い出した。以前、この作品は実用化を目的として制作されたのではなく、あくまでもモデルだ、と河本さんが強調して話していたことがある。ヴォディチコの姿勢は、傍観者・当事者をめぐる最近の問題意識を考える上で、今でも有効かもしれない。

その後のディスカッションで話題に出た「物語を読む」という鑑賞態度や展覧会のあり方についてもいろいろと考えたことはあるのですが、紙面が尽きてしまったので、今後の課題としたいと思います。


陪審員コメント05

陪審員:満岡重敏(横浜トリエンナーレ・サポーター)

1.今回の森村・河本両氏のお話は分かりやすく、素人の小生にも理解できた。お二人の共通点として、未来を担う子どもたちに対する深い愛情が感じられる。

2.本展での印象深い作品を取り上げるとすると、Jケージの「4’33’’」と、第二会場のMモティのエルミタージュ美術館の映像「No Show」であろう。聴覚(音)と視覚(絵)という異なる感覚であるが、どちらも、それがない状況下では、人は聴覚、視覚を研ぎ澄ませ、聞こえない音を聞き取ろうとする、、見えない絵を見ようとする強い気持ちが湧き上がることに感動を覚えた。

3.陪審員審議では、今回のヨコトリの構成が章立てであるなかで、「釜ヶ崎藝術大学」「Temporary Foundation」と第二会場のやなぎみわ氏の「舞台車」が違和感がある(異質なもの)という話が出た。
これについては、小生は時間の関係もあり発言を差し控えたが、3者とも肯定的な気持ちを持っている。
確かに、章立てのなかでは他の作品とは違った印象をもつが、鑑賞を続けるなかで、「安らぎの空間」を成している気がする。
「沈黙とささやき」といった緊張感ある作品が続いた後の、釜ヶ崎のオッチャン達の雑然とした(?)作品群に何かホッとし、「苦闘するアーティストたち」の作品群のあとに、原色で強烈なコート(法廷)とコート(テニス)に巨大な椅子。鏡で空間的広がりを見せる監獄などの町工場的な力作にニヤリとした。
やなぎみわ氏の舞台車も、同じ車でもデルボアの対極にある派手さ(空間的にも視覚的にも)によって本展覧会のアクセントとなっている。
3者の配置の妙にも今さらながら納得している。


陪審員のコメントを随時、公開予定です。