Temporary Foundation

横浜トライアル

横浜トライアル アーカイブ

CASE-1:「非人称の光」 建畠晢・加治屋健司

case1

8月6日水曜 午後3時30分ー5時
京都市立芸術大学芸術資源研究センター関連企画
Case Worker : 高橋悟(京都市立芸術大学美術学部教授)

証人:建畠晢
1947年京都生まれ。早稲田大学文学部フランス文学科卒。芸術新潮編集部、国立国際美術館主任研究官、多摩美術大学教授、国立国際美術館長を経て、現在、京都市立芸術大学学長。埼玉県立近代美術館長を兼任。 1990、1993年のベネチア・ビエンナーレ日本コミッショナー。2001年の横浜トリエンナーレ、2010年のあいちトリエンナーレのアーティステイック・ディレクター。詩人としては詩集「余白のランナー」で歴程新鋭賞、「零度の犬」で高見順賞、「死語のレッスン」で萩原朔太郎賞を受賞。
検事:加治屋健司
美術史家、京都市立芸術大学芸術資源研究センター准教授。1971年生まれ。東京大学教養学部、同大学院総合文化研究科で表象文化論を学ぶ。ニューヨーク大学美術研究所博士課程修了。PhD(美術史)。スミソニアンアメリカ美術館研究員、広島市立大学芸術学部准教授を経て2014年より現職。日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ代表。博士論文をもとに、1960年代のアメリカ抽象絵画を同時代の文化に位置づける書籍を執筆中。共編著にFrom the Postwar to the Postmodern, Art in Japan 1945-1989: Primary Documents (New York: Museum of Modern Art, 2012)、『中原佑介美術批評選集』全12巻(現代企画室+BankART出版、2011年–)がある。
陪審員:
上崎千(慶應義塾大学アート・センター所員)、梅原麻紀(東京芸術大学先端芸術博士課程)、住吉智恵(アートライター)、高松麻里(明治大学非常勤講師)、椿玲子(森美術館アソシエートキュレーター)、二瓶晃(同志社女子大学学芸学部情報メディア学科助教)、人長果月(美術家)、宮崎詞美(横浜美術大学准教授)、森山貴之(横浜美術大学准教授)、李美那(神奈川県立近代美術館主任学芸員)、勝俣涼(美術批評)(順不同)

陪審員・傍聴人への配布資料

進行・スクリプト:高橋悟

横浜トライアル
CASE-1: 8月6日 「非人称の光」

歴史の天使
1)
"新しき天使と題されるクレーの絵がある。そこには一人の天使が描かれていて、彼が凝視している何ものかから、今にも遠ざかろうとしているように見える。彼の目は大きく見開かれ、口を開け、その翼は広げられている。歴史の天使はこのような姿であるに違いない。彼は顔を過去に向けている。私達であれば事件の連鎖を眺めるところに、彼はただ破局のみを見る。その破局は、休みなく廃墟の上に廃墟を積み重ねて、それを彼の鼻先へ突きつける。たぶん彼はそこに留まって、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて組み立てていたいのだろうが、楽園から吹いてくる強風が彼の翼にはらまれるばかりか、風の勢いが激しいので、もう翼を閉じることができない。強風は天使を、彼が背を向けている未来の方へ、抗いようもなく運んでゆく。その一方で、眼前の廃墟の山は、天にも届くばかりに高くなる。私達が進歩と呼ぶのはこの強風なのだ。"

ヴァルター・ベンヤミン『歴史哲学テーゼ』、1940年)

瓦礫 
アートビン

マイケル・ランディ「アート・ビン」

「世界の中心に忘却の海」があるのなら、その光景は、多分、ベンヤミンが語ったようなものであるだろう。
「華氏451の芸術」とは、激しい風にふきとばされながら破壊されたものを寄せ集めて組み立ててゆく仮設的な修復作業であるはずです。アート・ビンよ(芸術のゴミ箱)よ、歴史の天使が眺めてきた瓦礫を、また、東北の瓦礫をこそ受け入れよ。

 

横浜トリエンナーレ

2)ご存じのように、今回の横浜トリエンナーレは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」という言葉が与えられています。そして言葉の上では、二つの序章と10のお話からなる書物の形式を取っています。華氏451とは紙で作られた書物が発火する温度です。小説「華氏451」では、焚書坑儒のように、未来世紀の国家が、書物という存在物を世の中から抹消するという筋立てになっています。さらに、それに抵抗する人々は、燃え尽き消滅する書物を生き延びさせる為に、一人一人が、書物となってその内容を記憶するという筋立てになっています。しかし、そもそも「なぜ」未来世紀の国家において、書物という形式が抹消されることになったのでしょうか?この事を考える為に、角度を少し変えてみます。一冊の本を読むという行為は、個人の孤独な作業なのでしょうか。「近代以降の読書」という行為は、過去や未来の異なる時間、どこか異なる場所で、いまここで読みつつある読者を含む「想像の共同体」と繋っているという意識なしには、成立しないのではないでしょうか。作家名や業績リストは、読者が、その「共同体」への参入を容易にする為の一つの装置として機能します。

今やナショナリズム研究の古典となった「想像の共同体」と題された書物の中で、ベネディクト・アンダーソンは「均質で並列的な空間という概念」と「複製メディアの印刷物」としての「書物」が、「国民国家の成立」の装置として機能した事を示唆しています。お互いには顔も名前もしる事のない複数の読者が、一冊の書物を通じて、繋がるという仮構の共同体が、「国民的な想像力」へ収斂するということ。
小説「華氏451」で未来政府が書物という形式を禁じた理由は、この問題、つまり、必然的に「書物が形成する共同体」への危機感からではないのでしょうか。電子メディアがボーダーを越えて、複数の「私たち感覚」を形成するようになった今日において、書物は、その「危険性」を保つことができているのでしょうか。

 

横井庄一
3)1972年グァム島で、一人の日本兵が発見、逮捕される。彼の名は、横井庄一。戦争が終結したことを知らずに、28年もの間、洞窟の中に潜みながら生きながらえていた。横井氏は、異空間から忘れていた過去・他者の記憶を引きずって突如現れたタイムトラベラーのような衝撃を多くの日本人に与えた。しかし、横井氏が、「帰国」して発したのは「恥ずかしながら帰ってまいりした。」という言葉であった。

 

お弁当箱
土田ヒロミ「ヒロシマ・コレクション」

4)「この弁当箱は広島市立第一高等女学校一年生の渡辺玲子のものであった。内部には炭化した豆と白米が遺されているが、白米は戦時下ではめずらしいごちそうであった。この弁当箱は市内材木町地区にある誓願寺の南側の堀の近くで見つかった。渡辺玲子の遺体は見つからなかった。」
戦後50周年にあたる1995年、アメリカのワシントンにあるスミソニアン協会の国立航空宇宙博物館は、原爆投下機であるエノラゲイ号の展示を行うことを計画したが、退役軍人、マスコミ、議会の激しい反発で、当初の計画は中止されることとなった。渡辺玲子の弁当箱は、中止されたこの展覧会に展示されることになっていた。

National Aie and Space Museum 1994 The Crossroads: The End of World War Ⅱ, the Atomic Bomb and the Original of the Cold War, First Scrpt より

エノラ・ゲイと並置することで、この弁当箱が、感情喚起装置となって引き起こす作用とは何であろうか。
自由を侵害する狂った国家、日本帝国という非理性から、我々を守るというアメリカの理性が、少女の小さな弁当箱と並置された瞬間、それが血に飢えた非理性へと反転してしまう。そのような危険な装置として弁当箱が、作動する可能性ではないだろうか。そして、その危険性を排除しようとする論争の過程で、弁当箱は、我々と彼らというボーダーを産み出すと共に、理性の共同体に揺さぶりをかける「他者の場所」として機能することにもなるだろう。
しかし、一方で。この小さな弁当箱が、喚起する感情作用は、アメリカのスミソニアンで展示される場合と、ヒロシマ平和記念館で展示される場合、同じものではないことにも留意する必要があるでしょう。

(スパワールド画像)
(やなぎみわ演劇公演2013『ゼロ・アワー~東京ローズ 最後のテープ』画像)
(やなぎみわ Stage Trailer Project画像)

5)大阪の通天閣がそびえる新世界と呼ばれる場所には「スパ・ワールド」という世界の温泉が楽しめるスーパー銭湯があります。ここにあるものは、古代ローマ風呂、ギリシャ薬湯風呂、フィンランド式サウナ、ペルセポリス式風呂、神々が宿るバリ島の風呂などなど。客は、時間をかけて旅をすることなく、時空を越えて、古代ローマ人、ギリシャ人、バリなどの別世界の住人となることができるのです。しかし、いくら異質なもの、ヘテロなものをかき集めたところで、これは、「多様な他者」へと開かれたものではありません。

19才の地図という小説では、大学受験の為に、地方から東京へ出てきた少年が、新聞配達をしながら、未来の見えない生活をつづけている状況が描かれます。かれは、配達の途中で出会う、気に入らない場所にバッテンを加えてゆきます。その後、次々に、そのバッテンに当たる所に、脅迫電話をかけるのです。例えば、「もしもし、太田さんのお宅ですか。お宅の犬ね。黙らして上げますよ。首をちょん切って、お宅の門の上に、おいておきますね。」など。最終的には、列車爆発予告にまで、発展しますが、この少年は、自分では、何事をかえることもできないことも知っており、脅迫電話をかけながら、電話ボックスの中で、一人で泣いているというシーンで小説は終わります。

中上健次01 中上健次

小説家の中上健次は、「19歳の地図」のあと、熊野に神話的拠点としての「路地」を設定して「枯れ木灘」など一連のサーガを書きました。小説「日輪の翼」では、その「路地」が地上げで消えて無くなるという状況で、マンガ的な聖地巡礼のパロディを書くことになりました。ここでは、もはや、路地など、世界の外部と出会う場所が、世界のどこにも存在しえないという自覚があります。
風呂屋のようなポンチ絵が描かれたトレーラーで、ポールダンスが行われる「日輪の翼」トレーラープロジェクトは、「異質な他所」を新世界のスパワールドのようにマンガ的に演出しています。しかし、このマンガ的な「異質な他所」は、共同体への批評言語を喪失しており、「多様な他者」との遭遇へと開かれたものではもちろんありません。

 

エルミタージュの聖母

6)第2次世界大戦中にナチスの侵攻を受けつつあったソビエト・エルミタージュ美術館では、貴重なコレクションを破壊と略奪から守るために、密かに収蔵品の移動を行っていた。膨大なコレクションを分類・梱包して運び出した後に美術館に残されたもの、それは観るべき対象を取り去られたむき出しの壁、それぞれの場所に作品が掛けられていたという人々の記憶のみ。館内ツアーというものを続けていた。一人の学芸員がそれぞれの作品が掛けられていた壁の前で立ち止まり、詳細な解説を続けていく中で、言葉と記憶からなる想像の美術館の中へ鑑賞者たちは入っていくようになる。ここでは、美術館はある空間・場所、あるいはトポスにイメージを関係づける手法、想像の共同体としての国家・国民や、集合記憶に基づく物語と場所の形成に関わる「記憶術」としての美術館というモデルに関わっている。マジックとも呼ばれる、このような恍惚的経験は、「勝利への意志」のもとで、「国民的想像力」をかきててるオリンピックとは異質なものなのだろうか。

 

夏目漱石

7)
S(宗助) 「近来の近の字はどう書いたっけね」
Y(お米) 「近江のおうの字じゃなくって」
S「その近江のおうの字がわからないんだ」
Y「こうでしょう」
S「やっぱりそうか」
Y「本当に良いお天気だわね」
S「どうも字というものは不思議だよ」
Y「なぜ」
S「なぜって、いくら容易い字でも、こりゃ変だと思って疑り出すと分からなくなる。この間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、なんだか違ったような気がする。しまいには見れば見るほど今らしくなくなって来る。―お前そんな事を経験した事はないかい」
Y「まさか」
S「おれだけかな」

小説『門』の冒頭部分、縁側に横になり思いにふける宗助と裁縫をしている御米との会話で、夏目漱石は文字から意味が剝落し、見知らぬ物として視界に浮上する感覚について記述している。文字を構成する要素の結び付きがゆるみ、統合され形を持ったイメージが解体する感覚。文字だけでなく、ヒトの顔、見馴れたはずの物や風景の視えかたが、ふいに異なった相貌をおびる背景には、人間の知覚・感情と行動の回路の解離があるように思われる。小説の中で、宗助は、過酷な過去の記憶により、社会との行動の回路を絶たれた傍観者として位置付けられている。知覚が、もはや、「行動への回路」へと結び付けられなくなったとき、「別様な知覚」、いままでは、見えてこなかった世界が、降りかかってくる。これは、ひとつの主体が、他者へ、さらには非人称へと変容してゆく経験といえるだろう。

さて、「華氏451の芸術」の会場構成は、12の物語からなる書物の形式をとっています。ここでは、「かかれた言葉」と「みる対象としての作品」の関係が一冊の「絵本」のように仕立てられているともいえます。
しかし「絵は本ではなく、本は絵では在りません。」「それを絵本にまとめることは、芸術の根本にある「経験の揺らぎ」が失われることにならないでしょうか。つまり複数の主体から形成されたものを、ただ一つの主体へと還元してしまう危険性があるのではないかということです。
ただひとつの主体ではなく、複数の主体が抗争しつつある力のフィールドでの仮設的な作業が、忘却の海での華氏451の芸術ではないでしょうか。

 

8)哲学者のジル・ドゥルーズは、映画論で、災害や戦争など、現実に対応するには、個人の能力を超えた状況の中では、人間は、行動・知覚・感情が解離して、ばらばらになり、まったく新しい未知の時間経験が立ち現れ、純粋な視覚的経験と純粋な聴覚経験が結びつくことなく並行線の状態で流れの中に没入する傍観者となることを述べている。知覚が、もはや、「行動への回路」へと結び付けられなくなったとき、我々は、現在の行動へと向けられた「知覚」、潜在的な「記憶」という2つの位相の「間」で、いまここにありつつ、どこでもない場所に漂うことになり、そこには、「別様な世界」、いままでは、見えてこなかった世界が、降りかかってくる。

郵便配達夫

オランダの画家ブァン・ゴッホの手紙を読んでみよう。

郵便配達夫を自分が感じたように描くことができるかどうか僕には解らない。おそらく彼をよき共和主義者とみなしていいのだろう。なぜかというと、彼は現在の我々の共和国を心から嫌っているし、要するに共和主義そのものに多少の疑いをもち、いくらか幻滅を感じているんだから。ところが先日、この男がラ・マルセイエーズを歌っているのを見た。僕は、来年の89年を1889年ではなく、いまから99年前の、つまり1789年を眼にしているような気がした。残念なことに、なかなこのモデルは座ってくれないが、どうしてもやっぱり仕上げてみたい。「知的モデル」の絵を。

歴史上に記憶される事のない郵便配達夫の肖像画。その制作から得られたこのような経験は、ある意味で、人間を予見不能な創造に立ち会わせる「事件」といえるだろう。


陪審員コメント01
横浜トライアル、Case‐1:8月6日「非人称の光」に参加して

陪審員:椿玲子(森美術館アソシエイト・キュレーター)

8月6日は、新港ピアから回り始め、横浜美術館を急ぎ足でほぼ見終えた所で「非人称の光」に参加した。大きな歴史の中では忘却されてしまいがちな個人的記憶への愛や、身体という人間存在の証への愛や執着といったものをなんとなく感じながら、裏側のテニス・コートに集合して、DJが音楽をプレイする中、陪審員として赤い法廷に足を踏み入れた。建畠晢氏が証言台に立ち、加治屋健司氏が検事を行うということで、一体どんなやりとりが行われるのか興味津々であった。

まずは高橋悟氏が自ら作成した、様々なキーワードや検証事項が書かれた配布物を読み上げた。とても面白い考察で、非人称の光、非人称性の持つ権力といったものを、第二次世界大戦以降の歴史と日本の立ち位置などを通じて考えさせられた。また「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」というテーマ設定について、世界の中心というヒエラルキー自体への疑問を投げかけるような試みとして「横浜トライアル」は存在するようだ、ということも感じられた。

次に加治屋氏が検事として建畠氏に色々と質問を切り込む。大まかには、日本の現代美術界の第一人者としての建畠氏が、かつて発言したことなどを検証しつつ、世界の現代美術界における日本の立ち位置などを再検証するものであったように思える。例えば「1994年に、建畠さんは日本の現代美術は国際的なシーンから疎外されていると語っていました。2014年の現在はどうなっていると思いますか?」といった関係者としては耳に痛い質問もあり、面白い答弁であった。

また第一回目の横浜トリエンナーレを観た直後にアメリカ同時多発テロ9.11を体験した加治屋氏にとって、8月6日という日に行われる本パフォーマンスで、9.11を思い出してしまう事は自然な成り行きなのだが、確かにこうした惨事の背後には非人称の光が感じられると思えた。

公開パフォーマンス後の非公開の参加者による感想を述べる会では、「国際アートシーンで、注目されなくなった感のある日本の現代美術をどのように外へ出して行くべきか?」というような質問に建畠氏が「キュレーターの文脈作りが重要になってくるであろう」と答え、キュレーターの力不足が問われる場面もあった。またキュレーター陣ばかりの話はつまらないと上崎千氏がツッコミを入れて、ミシェル=フーコー論へと展開させるなど、中々に盛り上がった。

最後に、このパフォーマンスに参加して一番印象に残ったのは配布資料の一番目に掲載されていたパウル・クレーの《新しき天使》についてのベンヤミンの解釈である。恐ろしいものを観ているのか、驚いた顔で過去を振り返りつつも未来へと吹き飛ばされ続ける天使のイメージ。悲観論者でなくても、輝かしい未来をあまり想像できなくなっている現代において、だからこそ惨事を含む過去の歴史、忘れられてしまったかもしれない個々人の記憶を蘇らせつつ、しかも未来の方へと顔を向けることができればと、考えさせられた。


陪審員コメント02
非人称の視線

陪審員:梅原麻紀(東京芸術大学先端芸術博士課程)

「非人称の光」は目には見えない。しかし、そこで語られた「存在することのできない光」や「創造的アーカイブ」の可能性は、「ヨコハマトリエンナーレ2014」(以下、トリエンナーレ)を読み解く重要なキーワードである。むしろ、目に見えないものとの遭遇に、感動さえ覚えたと言ってもよい。プロジェクトの外部者であるはずの私は、プロジェクトチームが放つ見解に対してコメントする陪審員の役を演じることになった。その役によって、鑑賞者の私から、アーカイブの陪審員として他者に読まれる発言者へと変位する。言い換えれば、私という主体は、仮設的構造において変換され、《法と星座−Turn Coat / Turn Court》CASE-1:「非人称の光」という作品、対話、あるいはエクリチュールのゲームの中で、非人称性を疑似体験する構想に誘導されることになる。

しかし、テーマ「世界の中心に忘却の海」の創造性についてコメントするには、対象物があまりにも巨大である。そのため私は、可視化できないが隠喩として、仮に「非人称の視線」を持っていることにする。これはプロジェクトチームTemporary Foundation(以下、TF)の認識を是認する私の立場を前提とし、架空のもう一つの視線を持つことによって、対象物をより深く捉える事ができるのではないかという思いからである。「非人称」とは、主体の非人称性、あるいは個人とは異なる共同性を意味するものである。仮に想定する「非人称の視線」とは、写真、映像などのカメラのレンズとしての視線、あるいは、複数人によって構成されるグループとしての視線などである。その「非人称の視線」とともに、トリエンナーレ・アーティスティック・ディレクター森村泰昌氏の考える「世界の中心に忘却の海」の情景を見つめたい。

トリエンナーレが設定している「忘却のブラックホール(あるいは、広大で奥深い海)」は、忘却という名で記憶されざる記憶が、ブラックホールという世界の中心にたまりこんでいると考えられている。しかし、私の「非人称の視線」が捉えるところでは、コンピュータシステムや様々な記録可能な媒体により変換された記憶の情報は、時空間に関わらず操作が可能で、大海に飛び散る記録の痕跡として、重層的に関わりながらさらに拡散していく。この点がトリエンナーレの認識とは異なる。また、序章と11の挿話から成る「世界の中心に忘却の海」は、それぞれが異なる要素と膨大な情報を内包し、物語はいったん大海に散在する島々として独立し完結している。

役に没入し、島に立ってさらに他の島々を眺める。陪審員を経験することによって、私がふだん社会の中で果たす役割によって味わうこととは異なる、日常の中の非日常的な知覚と身体への感覚が呼び起こされる。それは「忘却という名の記憶されざる記憶」の表出ではなく、潜在意識にあったものが今初めて引き出されたような記憶の認識と言える。TFが言及する「存在する事のできない光としての非人称」とは、与え合う喜びを前提とし、なお主体が何者でもない新しい他者になることの可能性を求める芸術を意味するのではないか。

証言台に立つ建畠晢氏は、近代以降に人間の生活に不可欠なものとして確立されてきた個人、他者、記憶、主体、著作権に対し、「非人称」がそれとは対照的、かつスリリングであると語る。そこで私は少なからず躊躇しながらも「非人称の視線」を私に対して向けてみる。共同性を伴う共同制作、例えば私が活動するアーティストユニット「ニュアンス」は、新しく到達したものを水面に浮上させ、個人の存在を水面下に消失させる。ちょうど、島々に波がひいては打ち寄せて、島の一部が消失すると同時に、全て水面下で繋がっているという共通認識である。また、共同性は、複合的な思考と作品を生み出し、匿名性により個人の存在を消滅させる。複雑な構造の共同制作になれば著作権の存在は曖昧になり、作品や創作行為そのものが問われることになる。

建畠氏は、「国際展に必ず含まれるマルチカルチュアリズム」、「森村泰昌氏ディレクションのトリエンナーレは、様々な視点において他の国際展とは異なりテーマ展である 」と証言する。マルチカルチュアリズムにおける他国への友好のしるしは、欧米で芸術の共同制作に関わってきた私にとって、他者と関わる創作行為のあり方を問うものである。日本人からの次のような応援と批評を耳にしたことがある。「日本人アーティストとして西洋で作られた美術の言語を学ぶのではなく、逆の立場で、ドイツ人とドイツ語でたたかってください」と。私が世界各地でユニットメンバーなどと共有した時間、共同制作、共有体験とは、東洋美術と西洋美術の融合を意図するものでも、平等性を求めるものでもなかった。新しい環境で他者を受容し、錯綜する実験によって社会との新しい関係性を創り出し、喜びを見い出すものであった。

その点で、ベンヤミンの『歴史哲学テーゼ』の記述が重要である。そこに記されるクレーの絵「新しき天使」は、誤解の扉を開けたのではないか。他者と関わる創作行為のあり方とは、予期せぬ状況と対峙する天使のように、廃墟の山を鋭く意識しながら他者を受容し、不理解、誤解、解釈という名の強風にあおられながらも、その瓦礫をこれまで見た事のない形へと再構成しようとするものである。既に見えているものを見えなくし、可視化し固定してしまっているものを変化させ、新たな主体形成の可能性を試す。創作行為というアーティストにとっての日常生活で、天使の視線へ変換する「非人称」の道具や装置を持ち、時には「誰でもない何か」としても生きる。そのような「非人称」への自己転換装置のような存在は、東洋、西洋問わず、現代社会において求められているのではないか。

もう一度、私の「非人称の視線」を TFへ投げかける。TFは、トリエンナーレに内在する独立した批評的機能においてトリエンナーレと協同している。私を含む陪審員が、トリエンナーレ側、またはTF側のどちらの立場でコメントをしても、芸術への愛に寄り添った鋭く激しい痛みを伴うような批評があることで、より自然に両者の潜在意識が鮮明になる。創造性の解釈に関連して、建畠氏は、フーコーの『作者とは何か?』を例にしたインターテクスチュアリティに言及した。不確かな作者や保証人の存在は、読者と作品との間に緊張感を生み出す。トリエンナーレ芸術号の救命ボートTFは、「非人称の光」によって作者をいったん読者や観客の前に照らし出す。読者や観客は、そのことによって作者の死を確認し、『華氏451の芸術:世界の中心に忘却の海』の絵本の中に作者の生死や非人称があることを記憶する。これは「存在することのできない光」を視覚的に定着させる、TFの壮大な企みである。


陪審員コメント03

陪審員:勝俣涼(美術批評)

ベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」の有名な一節などに触れながら、過去的なものの検証を審議の通奏低音として遂行された印象を強く受けた。この「検証」はしかし、単なる事実的記録の冗長な追認というよりはむしろ、私たちの現在という危機の瞬間を背景とした、歴史へのまなざしの再活性化を目論むものだったように感じられた。とはいえ、実際の審議内容からはいくぶん冗長な印象を拭えなかったことも、付け加えておきたい。しかし歴史的思考を粘り強く、生きたものにしようとする理念は、私たちの世界が抱える「危機」それ自体さえもが忘却されようとしているいま、いっそう高められなければならない。そうした理念が身振りとともに示されたことが、今回の審議の要点であったと理解している。


陪審員コメント04

陪審員:林 寿美(横浜トリエンナーレ 展覧会グループ/キュレーター)

「ヨコハマトリエンナーレ2014」の第5話「非人称の漂流〜Still Moving」の語り手となるTemporary Foundation。 その最初のイベント「横浜トライアル」Case-1は、タイトル通り“裁判”の形式をとりながら、いつもなら対談相手になるようなふたりが検事と被告人という立場に置かれて審議が進むという、奇妙でスリリングな“試み”であった。 両者のやりとりはたんなるQ&Aを越えた心理ゲームのようでもあり、美術という非常に限られた小さな世界における演劇のようでもあり、それを陪審員として、あるいは傍聴人として眺めるときに感じた不思議な距離感は、時空感覚を狂わせるあの赤い法廷でのみ、生まれうるものだったのだろう。 Temporary Foundationの実験はさらに続く。「ヨコハマトリエンナーレ2014」が終わるまで。いや、そのずっと先まで。


陪審員コメント05

陪審員:森山貴之(横浜美術大学准教授)

建畠氏が証言台に立つとのことで、私はてっきり横浜トリエンナーレというパブリックな場に設えられた法廷で彼を何かしら公開審判するのかと、その功罪についてあれこれ考えながら臨んだわけですが、そんなことはあるわけなく、日本を代表するアートフィクサーとアートアーキビスト両氏のやりとりを楽しく拝聴しました。実際に数々の国際展に関わった”実行犯”建畠氏に切り込む加治屋氏は、検事さながらの鋭い質問を浴びせながら、これまで日本の現代美術が国際的になし得たものを、建畠氏の口からなんとか引き出そうとされていたように思われます。

結局のところ、審理後の非公開審議?でも話題になったように、現在、国際的な文脈において日本の美術は有効なポジションを確立しえていないようです。その現状について、陪審員として参加したキュレーターの方々はある種の憂国の情をもって語っておられました。

しかしこの問題は、もしかしたら明治以降日本の美大が築き上げてきたシステムの問題にも直結するような気がします。国内のキュレーターたちが自責の念をもって口にするこの状況を学生たちに話しても、ポカンと口を開けてただ「はあ…?」と応えるにちがいありません。彼らのほとんどは、美術の国際的な動向など知りもしないし、アーティストに必要なコミュニケーションスキルも、経済感覚も、サバイバルの方法も教えられていません。美術史ですら、座学の授業でアルバイトと制作に眠い目をこすりながらおぼろげに聴く子守唄でしかありません。そんな彼らにとって、美術の地政学はいったいどれだけのリアリティがあるのでしょう。

ただその一方で、日本の現代美術が閉塞してしまっていると私たちが語るその「美術」とは何なのか。何を守ろうとしているのか。むしろそんなことを考えてしまいました。

この日の晩、トリュフォーが1966年に制作した映画版《華氏451》を観ました。メディアが我々を愚民化しつつある日本で、はたして美術は《忘却の海》に光明を放つ書物になりえるのかと、ぼんやり画面とその日の記憶を行ったり来たりしました。


陪審員コメント06

陪審員:上崎千(慶應義塾大学アート・センター所員 アーカイヴ担当)

「忘却の海」にぷかぷかと浮かんでいるという品々を遠巻きに眺めながら、本来どこまでも非ミュージアム的な場所であるに違いないそのような「海」の所在ついて思いを巡らせていると、米ユタ州のグレート・ソルト湖で『螺旋の突堤(Spiral Jetty)』(1970年)に着手する以前のスミッソンが、彼の『ノンサイト(Non-Site)』と題された室内作品群の一つに「室内アースワーク(an indoor earthwork)」という名辞を補足的に与えていたことをふと思い出した。かの突堤を「場所/非場所(Site/Nonsite)」の間の界面すなわち「/」そのものとして映画作品へと仕上げていく以前のスミッソンは、まだ「サイト」と「ノンサイト」の両概念を個別的に扱っていたが、それでも彼の『ノンサイト』は、ミュージアムに然るべき「外」を穿つための装置だった。ミュージアムの室内に「世界の中心」という虚構をマークする『ノンサイト』は、フロイトを参照したスミッソンがその「渺茫たるさま(limitlessness)」ゆえに「海洋的(oceanic)」であると定義した「サイト」への、非ミュージアム的な世界への開口部であり、地図=海図だった。

「証言台」に立つ建畠晢氏の語りに耳を傾けつつ、今日的な意味での「キュレーター」の台頭とキュレトーリアルに振る舞うアーティストの台頭がポストモダニズム期に同時に見られたことの理由や、それ以後、分化と脱分化を小刻みに繰り返してきたこれら二つの職能について、両者の混同がいまだ忌避されているばかりか、むしろまったく別物だと信じられ続けている理由について考えた。ところで、歴史(とりわけ歴史主義的な歴史記述という意味での)に「外」を穿つ手続きとして、「忘却」と「アーカイヴ」はどのように位置づけられるのだろうか。両者は必ずしも対極的なものとは言えないだろう。アーカイヴは「忘却の海」とミュージアムとの間のいわば波打ち際であり、「ノンサイト」である。そういえば「検事」役の加冶屋健司氏が少し前に「それでも歴史は書かれてしまう」とおっしゃっていたが、切実な面持ちで歴史記述を不可抗力のように語る美術史家の真意を、私はいまだによく飲み込めないままでいる。いずれにしても私の関心は、キュレトーリアルなアーティストの意図やアーティスティックなキュレーターの意図、美術史家の意図などとは凡そ無関係に、芸術作品がアーカイヴの似姿をとること(芸術がアーカイヴを模倣すること)にある。そのような関心の延長線上で、私は高橋悟氏が仕組んだこのセッションに「陪審員」として参加した。それは彼の『横浜トライアル』が、横浜美術館の直中にあってなお非陳列的であり、内容というよりはむしろ容器の姿をしており、どちらかと言えば非ミュージアム的なものの一様態を示そうとしているように思えたからである。

「陳列」という語に含まれる「陳」は「並べる」という営みを意味しており、博物学的な動機としてのミュージアムの原理である。他方、「陳腐」という語に含まれる「陳」は「新陳代謝」という語に含まれる「陳」と同じく、「古い」という意味である。「ミュージアム・ピース」という語がモダニズム以前に持っていた「古めかしい代物」という意味に立ち返るならば、「並べる」と「古い」の意味的な隔たりもある程度は埋められるだのろうか。

さて、「陳腐化(obsolescence)」という語は工業製品(主に機器、設備)やテクノロジーのいわゆる旧式化、あるいはそのような変化に伴う価値の低下という意味で用いられる。ただしこの語の使用において想定されている変化、何かが古くなることの一様態としてこの語が指し示す変化は、対象の物理的な老朽化や経年劣化といった変化とは必ずしも一致しない。「古いもの」における市場価値の下落と品質の悪化との乖離、言い換えれば、文化的=経済的な耐用年数と技術的な耐用年数との乖離が、この「陳腐化」という語の意味を特殊なものにしているのである。「新しいもの」として現れるものがすべからく陳腐化の憂き目に遭うというこの現実——しばしば工業製品の流通形態そのものに施される計画的陳腐化(planned obsolescence)の手続きはもとより、全ての「新しいもの」には「陳腐化」という仕掛けが、次に現れる「より新しいもの」の「新しさ」を保証するプログラムとして予め否応なしに組み込まれているというこの現実を、いま、取りも直さず芸術の現実として扱う必要はないだろうか。このような問いの立て方がポストモダニズムにおける制度論的な動機を用意するものの一つであったことは周知の通りであるが、「前衛」における表現の非永続性(ephemerality)に留意しつつ非ミュージアムとしての「アーカイヴ」の課題を問うとき、この「陳腐化」という語=概念のポストモダニズム期における応用範囲の拡大もまた特筆に値する。一つの例証として、1970年の夏にニューヨーク近代美術館で催された「インフォメーション」展に触れておこう。「情報」と題されたその展覧会は、コンセプチュアル・アートの台頭を単に同時代の芸術家たちの新しい動向として扱うのではなく(単にミュージアムが扱うべき「新しさ」の一例として扱うのではなく)、ある新しい芸術の台頭が、ミュージアムというシステムに更新を迫る契機そのものとして問われた事例である。企画者のマクシャインは同展に寄せたテキストで以下のように述べている。「あからさまな事実として、すでに定着したこのシステムに、予測不能の事態が生じているのである。たとえば、蒐集という営み(collecting)の本質が陳腐なもの(obsolete)となりつつあるようなこの時代に、従来型のミュージアムはサルガッソ海の底、カラハリ砂漠、南極大陸あるいは火山の麓といった場所にあるような作品に、一体どう対処するつもりでいるのか。新しいテクノロジーの紹介という課題においてミュージアムは、それを通常のキュレトーリアルな案件としてどう扱っていくつもりなのか(Kynaston L. McShine, "Essay," 1970)。」

ミュージアムの原理としてのコレクションのそのものの陳腐化というマクシャインの読みを、ミュージアムというシステムが持つ文化的=経済的な耐用年数の過小評価だったと一蹴する者もいるだろう。しかしこの読みは単なる誤読ではない。そもそもミュージアム・コレクションが芸術作品の陳腐化のプロセスを正当化(権威化 authorize)するシステムに他ならないことを知っているマクシャインは、内部告発者を装いつつ、来たるべき芸術、来たるべき「新しさ」を伴う芸術作品の取り扱いの困難さをめぐって、それを芸術の窮状ではなく、あくまでミュージアムの窮状として陳情しているのである。芸術の窮状ではなくミュージアムの窮状、このニュアンスの違いに注意を払うことで、マクシャインの目論見が見えてくる。彼はつまり、ミュージアムが芸術作品の陳腐化を代償として自らの陳腐化を棚上げにしてきたという事実をいよいよ白日のもとに晒すため、蒐集されたものの陳腐化ではなく、蒐集という営みそのものの陳腐化を告発しているのである。ポストモダニズム期は芸術作品の、芸術の作品としての在り方の転換期であり、作品の単なるディスプレイ以上の機会としての、芸術が経験される条件そのものとしての展覧会の転換期であり、また展覧会カタログの転換期でもあり、それらは明らかに芸術の陳腐化への抵抗を示していた。しかしその一方で、モダニズム期に「古さ」や「忘却」ではなく「新しさ」を蒐集するシステムとして刷新され、すでに定着していたミュージアムの在り方だけは、いわばそのままだった。取り残されたミュージアムは、その後も「世界の中心」で、蒐集できるものならば何でも蒐集し続けている。蒐集可能なものの払底に幾度となく直面しながらも、本質的に非永続的なもの(蒐集不可能なもの)を、蒐集可能な何かへとマウントする手続きによって、このシステムはいまもなお稼働し続けているのである。そのままでは蒐集不可能なものが、出来事が、「過去」がマウントされる、蒐集可能な、二次的な何か。それが何なのかを確かめた後、私たちは再び(そして何度も)、別の「海」へと臨む必要があるのだ。

——最後に。ベンヤミンが「模倣の能力について」(1933年)の終盤で「まったく書かれなかったものを読む」と書くとき、彼はこの言い回しをホーフマンスタールの短編戯曲「痴人と死と」(1893年)から引用しているが、人間の営みを形容するこのフレーズが、もともとは「死(死神)」の台詞だったということに注意を促したい。「思えば人というものは、不思議なものじゃ。解すべからざるものをも解し、文に書かれぬものをも読み、乱れて収められぬものをも収めて、終には永遠の闇の中に路を尋ねて行くと見える(森鴎外訳、1908年)。」


陪審員コメント07

陪審員:人長果月(美術家)

証言台で少し不安げに佇む建畠氏の姿は「赤い法廷で裁かれる詩人」役、
表情を変えず淡々と質問する加冶屋氏はご本人の御名前そのもののケンジ役、
非公開の評議会において活発な議論を交わす陪審員役、
皆、TFという場が与えた役を知ってか知らずかの内に演じ切っていた。
評議の主な内容は既に他の方があげているので割愛するが、その中で陪審員の一人である上崎氏が放たれた一言「キュレーター陣ばかりの話はつまらない」は、まるで台本があったかのような感覚を覚えた。この瞬間、私は心の中で叫んだ。
それこそがturn court(裁判をひっくり返す)!


陪審員のコメントを随時、公開予定です。